「陰」と「陽」の関係とは

前回のブログで、「陰陽」=「月と太陽」、「五行」=「木火土金水」について少しだけご紹介しました。
今回はもう少し掘り下げて、「陰」についてお話ししたいと思います。
「陰」と「陽」という言葉を聞いたとき、皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか?
もしかして、「陰」という言葉に対してネガティブなイメージを感じるのではないでしょうか。
それはどうしてなのかを考えてみましょう。
「陰」って悪いもの?
「陰」ということばを辞書で引くと、
1.日光のあたらないところ。かげ。くもる。山の北側。川の南側。
2.《名・造》かくれたところ。人に知れないもの。内にこもって目立たないこと。
要は「暗い」とか「目立たない」ということで、なんとなくネガティブに捉えられがちなのでしょう。
私が現役時代に嫌だなあと思っていた言葉が「陰キャ」です。
「暗いキャラクター」ということなのでしょうが、生徒の中にも「私はどうせ陰キャだから無理」などというように、自分を卑下してしまう子たちが少なからずいました。
確かに「陽キャ」=明るいキャラクターというのは、パーソナリティとしてプラスのイメージがありますね。
学校でも人気者だったり、リーダーを任されて先生から一目置かれたり。
でも、「陰」というのは、本当は負のものではないのです。
ここで私が子どものころに読んだヨーロッパの昔話をご紹介しますね。
ある夜の村人同士の会話です。
「太陽ってのはまったく何の役に立たないな。昼間は明るいから太陽なんていらないんだ」
「そうそう、その点月は素晴らしいよ。なんたって暗い夜道をこうして照らしてくれて、家まで無事に帰れるんだからな」
子ども心に笑ってしまったのを覚えています。もちろんこれは村人の考えの浅さを滑稽に描いた笑い話なのですが、逆に月の役割を正しく認識しているとも言えませんか?
月は確かに太陽のように生き物に強いエネルギーを与えたりはしないけれど、静かに夜道を照らし、人が道に迷わないように導いてくれる存在でもあるのです。
月と古典文学
「月」と聞いて思い浮かべる古典文学と言えば、紫式部が「物語の出で来始めの祖(おや)」と称した『竹取物語』ですね。
平安時代前期に成立した「伝奇物語」という分野で、月から人がやってきて、また帰っていくというストーリーはまさに「奇」妙です。
作中では、「月」は「浄土」ですが、「地球」は「穢土(えど)」、すなわち汚れた土地として定義されています。
かぐや姫は月で罪を犯し、その罰として地球に流される。その間、翁と媼に育てられるのですが、そこで口にした食べ物が汚れている、だから病気になったのだという設定です。つまり、平安時代には「月」を「清いもの」と捉えていたことが分かります。

また、江戸時代までは月の満ち欠けをもとに作られた太陰暦が採用されていましたし、和歌や俳句・歌舞伎などの文芸においては月はなくてはならないものでした。
百人一首には、太陽を詠んだ歌が一首であるのに対し、月を詠んだ歌は十一首あります。
そのうちの一首をご紹介します。
有明のつれなく見えし別れより暁ばかり憂きものはなし 壬生忠岑(30番)『古今集』恋・625
「つれなし」は「冷淡だ」という意味の形容詞です。平安時代の貴族社会では、男性が女性のもとを訪れて夜を過ごし、夜明け前に帰るならわしでした。
その通い婚の場面で相手の冷たくされ、別れの辛さを「有明の月」と「暁」という情景描写で表現したものと思われます。
月に哀しみや切なさを投影して詠んだ和歌が多いことからも、古人の感情と月は非常に強く結びついていたことが分かります。
月と女性ホルモンの関係

次に、月と女性との関係について考えてみましょう。
月の周期は約29日で、女性の生理サイクルは約28日。生理のことを「月のもの」とか「月経」と言うように、月の満ち欠けのサイクルと女性とは密接な関係にあると言われています。
また、よく「満月の夜に出産する女性が多い」という話を耳にすることもありますよね。
私は病気で長く入院していたことがあったのですが、その間に仲良くなった看護師さんがある日、疲れた顔で病室に入ってきて、
「聞いて~昨日の夜は満月だったから、一晩で6人も生まれたの~」
とこぼしていったことがありました。
看護師さんが言うので間違いないと思いますが…果たして真相はいかに?
そういえば、私が体調不良で悩んでいて、鍼治療に通っていた時、
「三陰交というツボを温めると妊娠しやすくなるよ」
と言われていました。
「三陰交」とは東洋医学で「3つの陰(内側)の経絡が交わる場所(脾臓・肝臓・腎臓)」という意味で、内側のくるぶしの一番高いところから指4本分上にあります。
(人が四つん這いになったときに、陽が当たる部分が「陽」、陰になる部分が「陰」だそうです)
グリグリ押すと痛いのですぐわかります!ここに鍼を打ってもらったり、自分でもお灸を据えたりしていたら、ずいぶん体調がよくなったということがありました。
もし、女性ホルモン由来の体調不良で悩んでいる方がいらっしゃったら、「三陰交」について調べてみてくださいね。
「陰」は尊いもの
先述した「陰キャ」の話に戻ります。
私が思うに、この世の中に、あるいはたとえば教室の中に、(あえて使いますが)「陽キャ」だけが存在しても意味がないのです。
全員が明るく陽気な生徒だったら、おそらく授業や学校行事は成り立ちません。
明るく能動的な生徒と、穏やかで受容的な生徒がいて、初めて安定した集団が形成されるのだと私は思います。
そしてどちらにも大事な役割があるのです。
だから、人を「陽キャ」「陰キャ」と分けることに、私はずっと違和感を感じてきました。
それでも、あえて言うなら、私は自称「陰キャ」の生徒たちと話す方が楽しかったんです。
いわゆる自称「オタク」という生徒が多かったように思いますが、「オタク」って一つの物事を深く突き詰めて追い求め続けるエネルギーに満ち溢れていると思うのです。
自分の「推し」について熱く話し続けるときの、キラキラした瞳と笑顔はとても素敵でした。
だから私はいつもそんな生徒の「推し活」を応援し、マシンガントークを喜んで聞いていました。
教職を辞した今、寂しく思うのは、そんな話を聞けなくなってしまったことです。
どうか、自分を「陰キャ」なんて卑下しないでほしい。
「陽キャ」と言われる人たちだって、実は寂しくて満たされず、無理に明るくふるまって虚勢を張っているのかもしれません。
そして、風水では「陽の中にも陰があり、陰の中にも陽がある」という考え方があります。
一人の人間を「陰」か「陽」かで分ける考え方自体がおかしいのです。
確かに「陰」は受動的、「陽」は能動的という違いはありますが、相互に作用しあって一つのものとなり、万物を形成しているのだそうです。
もともと「陰陽」とは互いにバランスを取り合っており、「陰」の要素がなければ「陽」の存在は意味がないことになります。
「陰」=月も、「陽」=太陽も、どちらも私たちの生にはなくてはならないものなのです。

太宰治は『ひとつの約束』という作品の中で、「誰も見ていない人間の美しい行為を世の中に伝えるために、自分は小説を書くのだ」と言っています。
月は静かにあなたの善行を照らし、それを必ず誰かが見ていて評価してくれています。
どうか自信を持って、自分を慈しんでくださいね。
癒庵
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